「パンとペン 社会主義者・堺利彦と売文社の闘い」黒岩比佐子

もう30年以上も前に、当時、福岡県京都郡豊津町にあった「堺利彦顕彰記念館」を友人たちと訪れたことがありました。大変小ぶりな施設で、中には堺ゆかりの品や原稿などがひっそりと展示してあったと記憶しています。(現在はみやこ町歴史民俗博物館に当時の資料が寄託されているそうです。)

日本社会主義運動の父ともいわれる堺利彦(枯川)は、親友であり大逆事件で刑死することになる幸徳秋水や、関東大震災時に暗殺された大杉栄に比べると有名ではないかもしれません。

しかし、大正デモクラシーの明るいイメージとは裏腹に、実際には過酷な弾圧下にあった社会主義者受難の時代を、今でいう総合広告会社のような事業を行う「売文社」を設立して糊塗をしのぎ、ユーモアさえ見せながら仲間を支え、したたかに生き抜いていく堺利彦の魅力はもっと正しく理解されて良いのではないかと思います。

この本の著者・ノンフィクションライターの黒岩比佐子さんは、そんな「売文社」時代の堺利彦が、周囲の人材や幅広い人脈を活かして、週刊誌用小説の翻訳や広告、はては代議士の演説原稿の作成、「忍術書」の編集や世界旅行案内まで、あらゆる注文を受けながら、この厳しい冬の時代を耐えきっていく姿を生き生きと描いています。 

110年前の社会主義者・堺利彦らの主張とは「自由・平等・博愛そして非戦・平和、暴力を否認し国法の許す範囲で世論を喚起する(平民新聞発刊時の宣言)」という、現在からみれば極めて穏やかなものでした。

しかし当時、それは社会を転覆させる危険思想とみなされ、右翼や軍部に狙われることとなりました。事実、堺は二度にわたって暗殺されかけています。逮捕されれば激しい拷問を受け命さえも落としかねない過酷な政治状況の中で、不屈の信念のもとに生き抜きながら理想社会への「棄石埋草」たらんとする堺利彦の生き方には、凄みすら感じます。 

黒岩さんのこの作品を読んでいたころ、2011年5月の連休にみやこ市で講演されるとお聞きして、ぜひ伺いたいと思ったのですが、直前になって本人の体調不良ということでキャンセルになりました。黒岩さんは、すでに膵臓がんで最後の闘病に入っておられて、ほどなく帰らぬ人となってしまいました。

この作品について著者としての思いを是非お聞きしたかったのに。また、黒岩さんがもし生きておられれば、もっともっと良い仕事をされただろうに、と残念でなりませんでした。(講談社・刊)


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