櫻よ-「花見の作法」から「木のこころ」まで

4otona.gif中国で花といえば桃、日本では花といえば桜ですね。古代から親しまれ、これほど日本人に愛され続けてきた花もほかにないでしょう。
日本のシンボルのような桜ですが、実は現在、日本の桜の80%は染井吉野なんだそうですね。

染井吉野は明治の初期、一種の突然変異で生まれた品種を東京の植木屋さんが売り出したもので、まだ長くても百年ほどしかたっていない。接ぎ木がしやすく成長が早いので、日本中に広がった。ところが人間が作り出した桜なので、最後まで人間が関わらないと生きていけないし、寿命も百年から50年と短かい。 「けども植樹した桜は、人間の都合で植えたわけやから、最後まで面倒みてやらんとあかんのです。」植木屋の藤右衛門さんは指摘します。

藤右衛門さんは代々の「櫻守」。
櫻の品種が絶えないようにと、先々代が全国を桜行脚して苗木を集め、植えたのが家業のはじまりです。
「たった5日の美しい花を咲かせるために、残りの360日を誰も見向きもしない桜を気にかけ、世話をすることに専念してきた。どこであろうと出かけていって、手入れをし、貴重な種は絶えず保存していかなければならない。阿呆でなければできぬことだ、とつくづく思う」という籐右衛門さんが、桜についてその思いを語ったのが本書です。

今のお花見は「桜も困ってると思うわ。桜が、もししゃべれたら、静かにして。あんたら何しにきよったんや。いいかげんにせえよ、と怒鳴りたい気分やろね。」「花見は一人でするもんや」という「花見の作法」から、雪月花というのは「雪が降ってるのに、満月で、桜が咲いてる風景のことやと思てます。これ以上、粋なもんありませんわ。」という四季折々の桜の風景の楽しみ方まで、語ってくれます。
「花はさかりを月はくまなきをのみ、みるものかは」という一文が徒然草にあるように、「お花見お花見!」と騒ぐ方ではない私ですが、あでやかで誇らしげにさえ見える満開の桜をながめていると、「やはりいいもんだなあ」と明るい気分になります。 

その陰に、人生をかけて桜を世話し守ってきた籐右衛門さんのような「桜守」の存在があるんだということに感嘆しないわけにはいきません。
ここ九州では、花見の季節は一月ほども前にすぎてしまいましたが、皆様は今年、どんなお花見をされたでしょう。今年の桜を思い出しながら、桜守・籐右衛門さんの言葉をたどってみるのも花見の後の一興だと思います。

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