91歳になる妻の母が逝去し、葬儀が行われました。子宮ガンで入院をしていた義母でしたが、ここ数ヶ月、容体が悪化しつづけ、20日の早朝ついに亡くなりました。(葬儀には多くの弔電などをいただき心より御礼申し上げます。)
義母は20歳で助産婦を開業し、50年以上にわたってその仕事をまさに天職として続けてきました。「取り上げた子たち」は、それこそ数えきれず。中にはひ孫まで4代にわたって、義母の手で「取り上げてもらった」方もあり、知らせを聞いて駆けつけて下さったご家族もありました。
お産を待っているお宅までいつもスクーターで駆け回っていて、家族の心配をよそにあっという間に通りに姿を消してしまう義母の様子を私たちも半ばあきれながら眺めたものでした。
義母の容体が急激に悪化し病院のベッドで横たわっている周りに妻をはじめ義母の娘たちが集まっていた時のこと。妻が童謡を唄いはじめました。「おかあさん?なあに、おかあさんって良いにおい。洗濯しているにおいだね、シャボンの泡の…」「おかあさん?」その時、「なあに」と義母が口を動かしました。薄れゆく意識の中で、かすかな声で娘たちの歌に答えようとしていたのです。きっと元気な母と娘たちの懐かしい時代を思い起こしていたに違いありません。
涙にくれる娘たちや親族に看取られて、義母は旅立ちました。家族にとってはたとえ長寿であっても身内の死は悲しいものですが、この土地(埼玉県熊谷市)には、90歳を超えた方の葬儀では、祝儀袋に「長寿銭」として五十円など小銭を入れてお返しする習慣があります。義母の葬儀でもその習慣が守られました。
私も学生時代からずっと義母をはじめ(いまでは親族となった)その家族たちと楽しいお付き合いをさせていただいてきました。「今日は詩吟」「今日はダンス」と、助産師を辞めてからも元気で楽しかった義母の姿を振り返り思い出しながら、葬儀を終えて小倉への帰途につきました。