最近の日本は子どものような文化に毒されてしまっていないか?
テレビ番組にしても出てくるタレントはみんなガキっぽい。やっていることも決して底の深くない娯楽番組でお気楽なものじゃないか。考えてみれば、政治だって子どもだましのようなレベルで続いてきたようなものだ。いったい本物のおとなたちはどこにいってしまったんだ?
いきなり小言おじさんのようなセリフで恐縮ですが、最近、おとなの世界が狭くなってしまったのではないかという気がしませんか。
分別があり確固として社会を支えている自信をもち、本物の楽しみを知りながら、子どもたちの教育や養育にも気を配っているような大人の世界を、どこかうとましい遠い世界のように見て、気まぐれにただ楽しく遊んでいる子どものような風潮が、いまの日本を支配しているといったら言い過ぎでしょうか。
そんな中で「大人であることの意味と楽しみ」について縦横に語り合う二人がいました。作家の塩野七生と五木寛之。場所はイタリア・ローマのホテル。
ホテルへのこだわりにはじまり、おしゃれのこと、靴、古代ローマの男たち、政治と教育、健康法、ワインや車、宗教から静かな死まで幅広い。脈絡はないようでいて、実は誰もが大人としてきっと意識するテーマをとりあげていることがわかります。
五木「おしゃれというのはなかなかたいへんなんですね。一生かかる
かもしれない、フルコースを楽しむには」
塩野「そして、おしゃれの真髄は絶対にねえ、中年のもの」
(『おしゃれは悪魔の誘い』)
塩野「ヨーロッパのシンポジウムでも私、言ってるんです。仏教だけの
ところでは宗教戦争は一切、起こっていないと。それは私たちの
宗教観の特質だから、堂々としていればいいんですよ。」
五木「ほんとにそうだ。日本の後進性のように言われていたものが、
じつは、われわれがほんとの意味で近代を超えて生きていくうえ
での大きな可能性になるかもしれない。」
(『私たちにとって宗教とはなにか』)
対談のいたるところで「なるほど。そうだねえ」と思う部分にぶつかって、次第に対談に引き込まれていきます。まるで自分が二人のそばに座ってでもいるかのように。
私は塩野七生(ななみ)さん好きですねえ。イタリアに住み、イタリアの歴史を題材にした小説をつぎつぎに発表。ローマ法王の政治を題材にした『神の代理人』、ヴェネチィアを題材にした『海の都の物語』など、骨太の文章で描くイタリアは、私にとって大変親しみのある国になりました。
アドリア海に浮かぶ小都市でありながら共和制を永年維持し、繁栄を誇ったヴェネチィアや、唐の都長安とともに古代の世界都市であったローマを、ぜひ訪ねてみたいと思ったのも、塩野さんの作品にふれたからでした。
その作品も、自立したその生き方も、まさに大人。 女性でも男性でも、こんな大人の良さを主張できる人たちが、今の日本にどれほどいるだろうと思うと、「なんで日本にはこんなにガキが多いんだ」と、私は最初の小言おじさんに戻ってしまうのです。
蛇足 この本は「家庭画報」に連載されて話題を呼んだ対談の単行本化。本の帯には「ほんとうのおとなたちへ そして、これからおとなになる人たちへ」とあります。この編集者も「おとなの復権」の必要性を意識しているのかしらん。
■出版社:世界文化社