八代目橘家圓蔵の泣き笑い人情噺

9otona.gif新春の落語は「えー、一陽来復いたしまして、まことにおめでとうございますな」なんて始まりますが、最近のテレビでは落語もなかなか放映されなくなって、こんなせりふもあまり聞かれなくなってきましたね。

落語をはじめとする日本の伝統芸能にとっては厳しい時代が続いています。忙しいテレビ時代に、演芸場に出かける人が減ってしまっているのでしょう。しかし、落語が今日まで続いているのも、テレビあってのことでもあります。テレビに落語家が出演することがなかったら、この伝統芸能がつづいていることは難しかったかもしれません。

この本は、昭和40年代に「月の家円鏡」としてテレビ・ラジオで知られた落語家・橘家圓蔵さんの人生を評論家の小久保晴行さんが聞き書きしながらまとめたものです。

私も「笑点」の大喜利などに出演していたり、タレントとしてテレビに出演している円鏡さんを見ていました。立川談志はその活躍ぶりを「鳥が鳴かない日があっても、円鏡の声がラジオから流れない日はない」とあきれたそうです。

一方で「テンポとアドリブは天下一品だが、落語はもうひとつ」とも言われてきました。若手落語界の四天王といわれ、おもしろ落語の第一人者といわれながら、落語家としてはどこか評価が低い。柳家小さんという巨星がおち、志ん朝という才能が逝った今、落語という日本を代表する伝統芸能を受け継ぐのは誰か、といった時、月家円鏡の名が挙がることは少なかったようなのです。

「でもいいじゃねえか。」「あたしはどんどんぶっつけていく。サゲを最初にしゃべっちゃうこともあります。」「私は落語をやる。おもしろい落語を一生懸命やろう」。小理屈なんかどうでもいい、みんなが喜ぶ落語に徹して進む、それも芸の道だ。

そう言いつつ、落語という財産がたりないことに気づいた円鏡さんは「99%追い込まれて」独演会の開催にふみきります。後に橘家圓蔵を襲名、独演会を中心にした落語研鑽は以来20数年、芸暦50年を越えて、押しも押されぬ代表的落語家として円熟期を迎えようとしています。

幇間(たいこもち)で活躍した後、身を持ち崩した父を持ち、貧乏のどん底から、橘家円鏡に弟子入り、後、昭和の大名人・桂文楽の内弟子となりラジオ・テレビで活躍してきた八代目・圓蔵さんの泣き笑い人生。その「ヨイショで歩んだ50年」に、えー少々の間おつきあいのほどを…。(04年1月)

■出版社:イースト・プレス

タイトルとURLをコピーしました