数年前、立石寺(山寺)に立ち寄ったことがありました。『閑かさや岩にしみいる蝉の声』芭蕉の俳句で有名なお寺です。ちょっと立ち寄っただけなので、石段を登ったところにある蝉塚まではいけませんでしたが、奥の細道の有名な俳枕である東北のお寺で感慨にふけりました。
亡くなった私の父は、晩年「芭蕉の跡をたどってみたいんだよ」と言っていました。自分なりの芭蕉論を書こうともしていたようでした。しかしその実は、病気も手伝って旅にでることをおっくうがって、結局、芭蕉の跡をたどる旅は実現することはありませんでした。でも「きっとこの山寺には来たかっただろうな」と痛切に感じたものです。
著者の嵐山さんは、その奥の細道の跡をたどり、立石寺では「蝉とは亡き主君・藤堂良忠(蝉吟)のことだ」と気づきます。『芭蕉の句には秘密の心が埋められている。』のです。
奥の細道二句目のこれまた有名な句『行く春や鳥啼き魚の目は泪』も、魚屋に並んでいる魚の目がぬれているように感じたのだと、著者は考えます。同時に魚は、別れていく門人・杉風のことだと推理するのです。(私は、この場面で杉田久女の『秋きぬとサファイア色の小鰺買ふ』の句を思い出しました。魚は確かに水の中の魚ではありませんね。)
著者の嵐山さんは、中学3年生からの「芭蕉性感染症」患者。この本では芭蕉全紀行をたどり、実に自由に芭蕉を感じながら、その虚と実、秘密だらけの芭蕉の旅を解き明かしつつ、俳諧の妙を楽しんでいます。
原典はJTB紀行文学大賞を受賞したというだけに、芭蕉をたどりながら美味しいものを食べ、酒を飲み、地霊を感じる実に楽しい旅行案内でもあります。
父が亡くなる前にこの本が刊行されて読んだとしたら、ひょっとしたら重い腰を上げたかもしれないのになあ、と思ってしまいました。
■出版社:新潮文庫