テムズのあぶく

16otona.jpgあなたは最近、中高年をテーマにした小説、それもすてきな恋愛小説が出始めていると思いませんか?今日のこの一冊、ロンドンはテムズの河畔・ドックランドがその舞台…(何だか「美の巨人たち」小林薫さんのナレーションのような感じ?!)
物語は、ロンドンで演劇の演出家として一人暮らしをしている46歳の女性・百瀬聡美と、重電機メーカーの駐在員として派遣されてきた51歳の男性・高岡正雄とが出会うところから始まります。ともに過去に結婚歴がありつつも、現在は独身生活をしているのですが、ロンドンで偶然に知り合い日本語で語り合いながら次第に接近し愛し合うようになっていきます。二人の夢のような愛の時間が、イギリス郊外やナポリへの旅行などもちりばめながら描かれていきます。(ここからはこの本のハイライトですから、詳しくは省略。じかにお読みになって下さいませ!結構ベッドシーンも多いので「大人向き」としておきましょう。)
しかし、高岡は程なく進行性膵臓ガンを発症。死を宣告され余命幾ばくもない高岡はついに日本の母の元に帰国して死を迎えます。墓参に訪れた聡美に高岡の母は聡美への愛つづった正雄の最後の手紙を手渡し、聡美は再びロンドンのテムズ河畔へと帰っていきます。
テムズ川に浮かぶ二つのあぶくが出会って、川上から川下へとくっついて流れていたのに、また一つに。人生の川下に到った中高年の夢のような恋愛と人生のはかなさを「テムズのあぶく」に作者は象徴させています。

恋愛小説というと、どうしても青春時代の若者むけが主流でしょう。でも我々(中高年)の世代にとっては今さら10代や20代の青春を題材にされてもねえという気がします。その点、作者の武谷牧子さんは私と同じ1975年に大学卒。かっこ良い慶応大生と、神田川周辺をうろついていた貧乏学生の私とではずいぶん違いますが、何と言っても同じ頃青春時代を過ごした安心感がありますね。(文中に「学生街の喫茶店」のメロディを思い出すシーンもありますよ。)
第1回日経小説大賞を受賞した本作品を「ありきたりの恋愛小説だ」と評するむきもあるようです。しかし、輝いて見える女性・聡美と出会った高岡が忘れかけていた青年の時代を思い出すかのように心をときめかせる様子をはじめ、お互いに時を重ねてきた分別を持ちつつ心惹かれ愛し合うその後の展開も、あえて高岡の死を取り込んだ点も「人生の川下での最高の恋」を描いたという点で、むしろ新しい物語であると思います。中高年を意識して、これからますますこうした小説群が生まれてくるのでしょう。
「こんな恋愛できれば良いだろうねえ。でも現実にはありえないよなあ」って?そう。この恋愛小説はきっと大人のためのファンタジーなんですね。日常の「ひん曲がった現実」のことなど考えずに純粋に愛の物語を楽しめば良いではありませんか。
ところで実は私は、かつて海外視察でこのドックランド地区を訪れたことがあるのです。寂れていた港湾地域を近代的なオフィス街などに再生した成功例として見学に行ったのでした。その時は、こんなにテムズ川が近いと思いませんでしたし、こんなすてきな恋愛小説の舞台となろうとは思いませんでしたが、この作品を読んでいてなんだか懐かしい気がしました。いつかもう一度訪ねることができたら楽しいだろうなと思いました。もちろんプライベートで。
本書は日本経済新聞出版社刊。

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