名城・小倉城の全貌『小倉城と城下町』発刊。書店でも購入可です

近年は知る人ぞ知る「お城ブーム」。北九州市小倉北区の小倉城にも市の内外から多くの観光客がお見えになるようになりました。

『小倉城と城下町』

そこで、小倉城周辺エリアをさらに魅力ある観光・文化の名所にしようと、平成28年度から3年をかけて「小倉城周辺魅力向上事業」」として重点的に整備することとし、天守閣内の展示を大規模にリニューアルするなどして同事業は平成31年3月に完成しました。
その結果、さらに多くの観光客を小倉城にお迎えしはじめていた矢先、今年に入って、新型コロナウイルス感染症が蔓延。北九州市も2波の新型コロナウイルス感染の波をかぶったものの、ようやく落ち着きを取り戻し始めていますが、なお小倉城への観光客の激減に見舞われ続けています。
一日も早く、新型コロナウイルス感染症が終息し、小倉城にも再びにぎわいがもどってほしいものと願うばかりです。

さて、小倉城は、1569年に毛利元就が平城を構えたのを始めとし、その後、関ヶ原合戦後に細川氏が入って、初代藩主・細川忠興が、斬新大規模な天守と広大な城下町を築きました。

「唐づくり」と言われる特徴的な最上層をもつ層塔式の天守は、破風のない独特のもので忠興自慢の天守だったと言われ1610年に完成しています。
細川氏が熊本に移ると、譜代大名・小笠原氏が小倉藩主となり幕末まで続きます。
この長い小倉城の歴史と、その城下で培われた文化を掘り起こし、その魅力を、最近の研究結果も含めて、北九州市立自然史・歴史博物館(いのちのたび博物館)がまとめた本が「小倉城と城下町」として、このほど発刊され、市内の書店などにも並んでいます。
魅力向上事業の一環として企画された本書の発刊は、小倉城の歴史と文化について、学術的批判にも耐えうるしっかりした内容を整理して、今後の情報発信の基礎になるものと期待されています。
お聞きすると、同博物館が「小倉城」についての書物を、総合的にまとめて発刊するのは、実は今回が初めてのことなのだそうです。

細川忠興創建時の小倉城復元CG(関係者の許可を得て、2017年に市議会議場で配布したもの。)

小倉城天守閣は、その規模においても、その様式や構造においても、創建当時、日本有数のものであり、「八万の軍勢を防ぐことができる」と忠興が豪語したほどで、「惣構え(城下町)」の「縄張り(設計)」や規模においてもまさに「名城」と呼ぶにふさわしい城でした。
にもかかわらず、幕末の闘いで天守が焼失した訳ではないのに、負けて焼いて逃げた城などとの負のイメージが造られたこと、明治期に「存城」とされたものの、その後、軍用地として使用され、史跡の扱いもされなかったこと、戦後の天守閣を鉄筋コンクリートで再建した際、大きな破風を取り付けるなど創建時の忠実な復元をしなかったこと、海に面した城下町が、近代化の波に洗われて開発が進み、わずかに天守閣周辺エリアのみが残されたことなどから、その素晴らしさが地元北九州市においても十分に認識されずに来たものと考えられます。
こうした中で、近年の「お城ブーム」をはじめ、アジアを中心にした外国人観光客の来訪などにより、その文化的価値が改めて再認識される機運が盛り上がり始めました。
この機会をとらえて、リニューアルなった小倉城天守閣を中心に、改めて「名城・小倉城」の復権にむけて前進していきたいものだと考えています。
発刊された「小倉城と城下町」は、そのための強力な助っ人になるものと考えています。

また、今年はNHK大河ドラマで、明智光秀を主人公にした「麒麟がくる」が放映されています。小倉城を創建した細川忠興は、光秀の娘・玉子を妻としますが、それが細川ガラシャです。
ガラシャは、石田三成に人質に取られることを拒否して死亡したため、築城された小倉城に来ることはありませんでしたが、忠興は、ガラシャが師事したイエズス会の宣教師・セスペデスの主導でガラシャを追悼するミサを小倉の天守堂(教会)で行ったことが知られています。
小倉城は、大河ドラマのゆかりの歴史の城でもある訳です。

同書は海鳥社刊。すでに市内の各書店には、他のお城関係の本と一緒にコーナーが設けられるなどして発売されています。

タイトルとURLをコピーしました