夏の光

17otona.jpg この夏、大学時代の友人たち10人ほどで京都旅行をしました。保津川下りの舟ではしゃぎ、嵐山渡月橋の上を浴衣がけで夜風に吹かれながらそぞろ歩きをしたりしました。知り合ってからもう35年以上にもなるのです。京都の町を歩く友人たちは、みんなあの頃の輝くような笑顔にかえっていました。

「この写真を写した時の純子も、輝くような笑顔を浮かべていた。あれはもうはるかに遠い場所だ。いったいどれくらいの距離を、自分は歩いてきたのだろう。」 
物語の主人公で証券会社のアナリスト・宮本修一は、財務省で高校時代の親友・新聞記者になった有賀新太郎と20数年ぶりに再会します。
 高校三年生の夏、ともにボクシング部に所属していた有賀、恋人だった同級生・純子たちとの夏の海の思い出。そして1月後の純子の自殺。何も言わず傷つき離れていく有賀。修一のいらだちと喪失感とともに時が過ぎていきます。
 良識派エコノミストの修一は、短期国債の増発をめぐる経済方針をめぐって議論が続く中、再会した経済記者の有賀から助けられます。友情の証のように。でも有賀の友情はそれだけではなかった。フィブリノゲン製剤輸血によるすでに末期の肝臓ガンのため意識不明に陥った有賀の手紙によって、あの夏の出来事のすべてが明かされていきます。
 すべてが過ぎ去り、とても遠いところに居たはずなのに20数年前の「あの事件」の真実が明かされると 、そこに実は「光の中にをずっと飛び続けていたいたいと願っていた、あの頃の自分たち。」が居ることを改めて発見する、という仕掛けにこの物語はなっているのですね。
 そういう意味でこの作品はやはり「青春小説」に分類されるのでしょう。

 ボクシングがマイナースポーツの扱いをされはじめて久しくなりますが、黄金期のプロボクシングに(テレビで)親しんできた人間の一人として、ボクシング部のライバル同士という作品の題材にも私は惹かれました。きっと著者の回りにボクシング部の友人などがおられたのでしょうね。
 また、証券会社アナリストの主人公が、親友に「あまりに単純だな」と言われながらも「人の幸せにダイレクトに結びつく経済」を意識し葛藤する姿は、きっと経済新聞の記者としての著者の日常の心の姿なのでしょう。
 ストーリーの細部には若干不自然さを感じないではありませんが、この殺伐な時代に「折れない心」「友情」「良心」といった「心の内側」を描こうとした作者の純真な魂に感動します。
ポプラ社・刊

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