京都宇治の萬福寺を総本山とする黄檗宗の管長さんだった林文照和尚の本葬が、地元・円通寺で行われましたので「和尚さんにお別れを」と出かけました。
文照和尚の父上は俳人杉田久女と親交があり、良き理解者でした。文照和尚も同様であり、円通寺の境内には久女の句碑が建立されていますし、毎年の久女忌もここで行われます。
かつて久女の会が講演会を開催したときも、文照和尚がお話をされて「せっかくの久女ゆかりの資料が鹿児島に全部行ってしもうた。市は何をしとるのか」と叱責されたのを思い出します。不遇な杉田久女さんの復権を願う熱いお気持ちだったのでしょう。
気さくで誰にでも親しまれるお人柄は、昔話にでてくる我々になじみ深い「和尚さん」そのままだったのではないかという気がします。(他の宗派では和尚を「わじょう」などと呼ぶのに対し、禅宗などでは「おしょう」と呼ぶのだそうです。確かに今日もそう呼称されていました。)
実は私は、そんなこんなで縁を持たせていただいた「文照和尚さんにお別れを」と軽いつもりで服装も軽装で出かけたのですが、行ってみると、全国から7,80人もの黄檗宗の和尚さん方がいらしててとても荘厳な雰囲気で式が執り行われる様子でした。考えたら、これだけの大人物の本葬なのですから当然ですね。
私は穴があったら入りたい位恥ずかしい思いをしてしまいましたが、それでもきっと文照和尚は「ようきてくれた!」と受け止めてくださるのではないかと思いこんで「えい、ままよ!」と式に臨みました。
黄檗宗は、中国・明から招かれた隠元禅師を開祖とする禅宗。「明朝風の禅と念仏が一体化した念仏禅を特徴とし、読経が楽器を伴う明風の梵唄であることで知られる。」(出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』)とされています。
今日の本葬でも、和尚さん方の服装も儀式の進行もどこか中国風でしたし、お経には確かに古い中国語らしい語感がありました。
本堂に上げていただいたことで、大変恥ずかしい思いはしましたが、黄檗宗の本葬を間近に眺めることができたことは大変貴重な体験でした。
朗々とお経を上げられた多数の和尚さん方が退堂された後、にこやかだった文照和尚のお顔を思い出しながら、ご冥福をお祈りしつつ円通寺を後にしました。合掌。