理解できない「靖国参拝」

民主党が前原代表を選出して初めての党首討論が行われ、その内容が報道されました。
良いことですね。しっかり報道していただき、国民が日本のリーダーの資質を判断する材料となればいいと思います。
 前原代表が「首相はが靖国神社参拝を強行したことで、日中間の戦略的、包括的対話の道筋が閉ざされた責任をどう感じているのか」と質したのに対して「憲法で思想・良心の自由は保障されており、参拝がなぜいけないのか」と小泉首相は切り返しました。(確か裁判では「憲法違反」と判断されませんでしたっけ?)いけないに決まっているでしょう。
 しかも、それを周辺の与党幹部がこぞって「問題なし」と了解ばかり。問題ない訳ないでしょう。中国や韓国をはじめとする周辺諸国の批判を増幅して、対話を困難にすることは分かり切っていることなんですから。わざわざ火に油を注ぎにいくことはない。
  私は、キリスト教の家庭(両親ともに、決してまじめな信徒ではありませんでしたが)で育ったものですから、どうもそんなに躍起になって靖国神社にお参りしたい気持ちが理解できない。なんでそんなに靖国・靖国っていかなきゃいかんのでしょう?
 「日本人だろう!」なんて短絡的な声が聞こえてきそうですが、私もれっきとした日本人です。日本の文化をこよなく愛し、すばらしいと思っている一人です。それと「靖国」とは関係ないんじゃないでしょうかねえ。
 私自身は、現在どの宗教をも信仰してはおりませんが(それが国際的に見て普通かどうかは別としてですね。)宗教のよい面もたくさん知っているつもりですし、神社仏閣をはじめとした日本の文化遺産もとても大切なものだと思っています。
 とりわけ多神教である日本の宗教的伝統は、あらゆるものを許容しともに手を携えるよき日本文化を育ててきた要因だとさえ思っています。
 日本のこうした伝統的宗教文化が、今後の国際社会で偏狭な宗教的対立を乗り越えるために重要な役割を果たすことができるかもしれない可能性を指摘する人々もあります。
日本文化を大切にする人々こそ、ことさら対立をあおる偏狭な民族主義とは、対極にあるはずだと思うのですが。いかがでしょう。

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