クマのプーさんやピーターラビット、うさこちゃんなど、子どもの本に登場する主人公たちに、子どもの頃から親しんできた方も多いことでしょう。
でも、これほど多くの子どものための作品群を翻訳・紹介し世に送り続けた石井桃子という人物像について、これほど知られていない人も珍しいのではないでしょうか。
子どもの頃、石井桃子さんの作品に親しみ、畏れ多くも自分の娘の名に「桃子」と付けさせていただいたほどの?私でさえ、その実像を知る機会はほとんどありませんでした。
この本の著者・尾崎真理子さんは、石井桃子さんが「あふれる文学的才能と経験に恵まれながら、後半生をこの国の子どもの本に捧げたのはなぜだったのか。もしかしたら、それはあの戦争にまつわる出来事に起因していたのではなかったか」と問いかけ、その生涯にまつわる様々な疑問を、生前の石井桃子さんへ直接ぶつけたほか、彼女の作品で育ったことを自負する新聞記者らしい詳細な調査によって石井桃子さんの実像に迫りました。
現さいたま市浦和区で、11人の家族が暮らす商家の5人姉妹の末っ子、内気で、はにかみ屋の幸せな子ども時代。
英語を活かし、文芸春秋社の創始者であり大作家の菊池寛宅でのアルバイトを契機に、文芸春秋社・新潮社・岩波書店の編集者と続く多くの業績と、きらびやかな交流。
後の首相・犬養毅邸に文芸春秋社から派遣されて本の整理にあたっていた石井桃子さんが、クリスマス・イブに招かれた際の「魔法にかかった」ような「クマのプーさん」との出会い。
戦争になだれ込む直前の、はかなく愛おしい時代を享受した青春時代。石井桃子さんの作品「ノンちゃん雲に乗る」は、ひそかに隠されたある兵士・恋人への手紙が下地だったと尾崎さんは解明します。
戦争へ加担した悔悟とその封印。女だけの疎開と開墾開拓・ノンちゃん牧場。子どもの本の編集と翻訳の日々。家庭文庫など子どもの読書活動の実践、等々。
2008年に101歳で亡くなるまでに到る石井桃子さんの多大な業績と足跡を、捉え尽くすことは、おそらく至難の業というべきでしょう。
石井桃子という人がいなかったら、日本における児童文学の成立は時を逃し、子どもの本の世界が今よりもっと味気ないものとなっていたかもしれないことだけは間違いありません。
尾崎さんは、「子どもの本で埋め尽くした書架で前面を固めた、ひみつの王国」のような石井桃子さんの生涯に「歩みを進め」た、と書いています。
この本は、親しい人にさえ自らについて語ることのなかった児童文学の巨匠・石井桃子さんの「王国」に分け入ることのできた、ほとんど唯一無比の評伝と言って良い労作と言えるでしょう。
ところで、尾崎さんは(石井桃子さんの文章を)「読みながら、私は朝日新聞朝刊の四コマ漫画を連載していた、長谷川町子のことを思いだした。長谷川町子ともう一人、作詞家の岩谷時子のイメージもどこかダブる。・・・三人の売れっ子の中年女性たちは、髪を地味に後ろでまとめ、そろって眼鏡をかけていた・・・化粧っ気はないのに品があって頭が良さそうで、華やかな仕事をしているのに非常にお堅い人々のように見えた」とも書いています。
実は、私にも石井桃子さんと長谷川町子さんとはイメージがダブって見えていました。
高い評価を受けつつも自分を語らず、身を削るような仕事をこなし続けた女性たちの日々には、大正・昭和・平成と激動の時代を過ごした自ら個人の経験と思いを白日にさらし、詳細に表現する余裕は、持ちたくても持つことなどできなかったのかも知れません。 尾崎真理子著 新潮社刊