hurtfulかheart-fullか?本会議論戦はじまる

北九州市議会では今日から代表質疑がはじまり、北橋健治新市長が編成した平成19年度予算案などに対する本格的な論戦が始まりました。
各会派からの質疑を私もじっくり聴かせていただきました。特に、市長選挙で相手候補を応援された会派からの質疑については、どのような質問がなされるか注目しました。
公明党さんからは「マニフェストに示された事業を進めるのは結構なことだ。ただ。少人数学級などは従来の方針からは大きな転換である。ランニングコストなどを考えると財政が大丈夫か心配だ。」というような趣旨で発言があったと受け取りました。
確かにそうですね。政府による理不尽な地方交付税の削減は、想像以上の厳しさを自治体にもたらしています。北九州市も例外ではありません。知恵を集めながら、福祉施策充実への予算を何とか確保したいものです。質問者は「公明党は福祉の党だ」と述べられ「福祉施策の充実自体に反対するものではない」と言明されました。北橋市長も「福祉を守ってこられた公明党のご努力には敬意を表しています」と応じました。「障害者小規模作業所への大幅助成」など公明党さんも主張されてきながら、これまでの市政では長年実現してこなかった施策をはじめとして、福祉施策の充実を明確にした本予算案への賛同を是非いただきたいものです。
興味深かったのは「ハートフルは英語圏では通じない。苦痛を与えるなどという意味だ。そうならないように」とのご指摘でした。確かに「hurtful」ならばそのとおりです。でも市長が主張してきたハートフルは「heart-full」優しい心が一杯というような意味の和製英語です。北橋市長も「和製英語であることは承知しています。人に優しく元気な町づくりをめざす気持ちを表したもので、サッカーの浦和レッズのクラブ名がハートフルクラブというように、結構使われているのでわかりやすいと使用したものです。」と丁寧に応じていました。

さて、改めて野党宣言をされた自民党さんのご質問は、やはり手厳しかったですね。東京事務所嘱託職員さんの採用問題をはじめ、多岐にわたるご指摘については私も議場で謙虚にお聞きしたつもりです。
ただ、北橋市長が「公共事業をやめる」と発言したかのようなご指摘は事実誤認ですし、都市経営戦略会議の設置(柴田候補も提唱していました。)が従来の末吉市長の姿勢を否定するものではないかというご質問は、正直、真意が理解できませんでした。また、ひびきコンテナターミナルの公共化が「大丈夫か」と言われても、ここまで追い込まれた経緯は質問者が一番ご存じのはず。北橋市長がそれに主導的な役割を果たしてきたと問われるべきものでもないでしょう。
また、福祉・子育てを重点とする北橋市長の姿勢について「あえていえば、恩恵を受けるのは(障害者や子育て家庭に)限られている」というご指摘には賛同できませんでした。その論でいけば、介護保険だって国民健康保険だって、あるいは中小企業振興策だって「一部の限られた市民のためだ」となってしまいませんか。
生活保護行政にしても「職員のこれまでの削減努力を否定するのか」といわれましたが、保護を受けるべき老人が孤独死してしまった痛ましい現実をふまえて私たちが新たな出発を誓うのがそんなにいけないことなのでしょうか。これも理解できませんでした。
「野党として」市長を論難されたいお気持ちは理解しましたが、率直に申し上げて私にはもう少しわかりやすく論陣を張っていただきたかったなあという気がしました。

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