青年将校らの悲哀

今から71年前、その後の軍国日本への突進を決定づけた「2・26事件」が起きました。昭和11年、陸軍皇道派の影響を受けた20歳から30歳代を中心とする青年将校らが「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げて約1500名の兵を率い起こしたクーデター未遂事件でした。

最近出版された「盗聴2・26事件」(NHK)では、次第に過激な行動に出る皇道派の動向を電話盗聴などで把握し、彼らのクーデターを機に一挙に戒厳令を布いて事実上の陸軍主導の軍事政権をめざす「統制派」によるカウンタークーデターであったことが明かにされています。
政敵を排除して軍内部の実権を握り軍事政権を樹立するという政治目的のために、農村の疲弊と政治腐敗を憂い天皇親政を実現させて政治を一新しようという純粋な青年将校たち犠牲にし、思想的背景をなした北一輝らも一緒に処刑されてしまいます。一方で、軍内部での解明はうやむやにされたまま事件は終結。東条英機らを中心とする統制派は実権を掌握して翌年には蘆溝橋事件が勃発、日本はまっしぐらにファシズムの道を突き進むことになります。

陸軍青年将校の多くは疲弊した農村の出身でした。冷害による不作がつづき、娘たちの身売りが余儀なくされる惨状に、青年たちの怒りと世直しへの思いが募ったのでした。しかし、彼らはいわば政治の犠牲とされたのです。政治には陰謀や犠牲はつきものとはいえ、心休まる日を迎える事なく世を去った青年将校たちの悲哀を思うと切なくなります。

翻って現代の我々は「青年将校」らの思いに応え切れているのだろうか。あるいは「青年将校」を犠牲にしようとしていないだろうか。地方政治の一端を担っている私としても、あらためて心しなければならないのではないかと自戒するのです。
ところで、福岡県知事選挙に臨む稲富修二君も、当時の青年将校らと同じ年代ではあります。彼に2・26青年将校の悲哀を味あわせたくないと思うのは私ひとりではないと思うのですが。

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