第70回武蔵・小次郎まつり-4年ぶりに開催

昭和25年から、宮本武蔵ゆかりの地の地元・桜丘校区まちづくり協議会や延命寺景勝会などの皆さんによって続けられてきた「武蔵・小次郎まつり」が、4年ぶりに開催され、私も参加させていただきました。
新型コロナ感染症により、中止が続いていたため、今回が記念すべき節目の70回目の開催となりました。

挨拶される大会実行委員会三好孝会長

三好孝実行委員会会長は「本来なら74回目となるところ、中止が続き、今年はぜひ(武蔵顕彰碑などのある)手向山公園台上で実施したかったのですが、天候の関係でやむなく小学校体育館での式典となりました。今後も、75回80回と続けて行きたいと思います。」と述べておられました。
式典は、市長祝辞などの後、神事が行われ、献花・献茶。続いて詩吟献吟のほか日本剣道形など奉納演武も行われました。
おまつりは、桜丘市民センター会場も含めて、舞踊や和太鼓の演技、剣道大会やダンスなど、恒例の多彩な行事が目白押しの様子でした。
ご準備された地元関係者の多大なご努力には、毎度頭の下がる思いですが、きっと参加者や地域の子どもたちにも心に残るおまつりになったことでしょう。

日本剣道形の奉納

ところで、宮本武蔵は今なお世界に名を轟かす剣豪ですが、熊本での晩年を除けば、その実像は必ずしも明らかではないと言われています。
戦前の1935年から朝日新聞に連載され大人気を博した吉川英治「宮本武蔵」の影響はすさまじく、それが現在に至る最強剣豪・宮本武蔵伝説の多くのエピソードが人々の心に残る要素になったとも言われています。
しかし、手向山にある武蔵顕彰碑(小倉碑文)は、武蔵没後9年の1654年に、武蔵の養子で小倉藩筆頭家老・宮本伊織により建立されたものであり、巌流島の決闘や吉岡一門との決闘などについても刻まれています。
その後の武蔵像の形成につながる最も基本的で重要な一級の資料と言うことができるでしょう。
今日は、おまつりの会場が手向山公園台上ではありませんでしたので、私も小倉碑文には向き合えませんでしたが、また来年の武蔵・小次郎まつりには出かけていきたいと思います。
手向山公園までは、すぐ下の駐車場まで車で気軽にお出かけになれますし、小倉城では、リニューアルされた天守閣内部や城内に、武蔵・小次郎に関する展示やモニュメントなどがあり、ご家族連れでも楽しく歴史を学ぶことができます。併せてお出かけ下さいませ。

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