岩田順介さんを悼む

民主党の衆院議員を3期つとめた岩田順介さんが急性骨髄性白血病のため5日に亡くなり、今日、飯塚市で告別式が行われました。
会場には、千人を超える人々が駆けつけて「豪放磊落」だった岩田さんの死を惜しみました。
式では菅直人民主党代表代行や松本龍民主党県連代表などが弔辞を述べましたが、中でも松本代議士は「10年前のあの頃が一番きつかったですねえ。何でも相談してきたあなたがいなくなるなんて」と民主党を立ち上げた10年前を振り返りながら涙ながらにその死を悼みました。

あの10年前、自治労出身者で旧社会党代議士として旧民主党を立ち上げることを決意し行動することは、当時大変勇気のいることでした。彼の決断があったからこそ、日本における政権交代が可能な勢力を結集しようという民主党が立ち上げられたといって決して言いすぎではありません。
衆議院選挙後の国会での動きに呼応して福岡でも民主党の組織をつくろうということになり、最初の大都市の選挙として北九州市議会議員選挙を私たちが闘う事になります。翌年1月私たち3人が初めて民主党公認の市議候補として全員当選し大きな話題を呼び、民主党組織はその後確立されていくことになりました。

その間、岩田順介さんは私たちの相談役として何くれとなく面倒を見てくれたのでした。
「おい世良君、元気か?」など気さくに声をかけてくれて「うんうん」と頷きながら話を聞いてくれた岩田さんの姿を思い出します。

告別式の会場の外で警備に当たっていた制服のおじさんんたちがお話されていました。「今日はとても人が多いなあ。やっっぱり岩田さんの人柄やろうねえ。会って話してるとといつのまにか、丸め込まれてる感じやったもんねえ。」
私は吹き出してしまいましたが、いろいろな人に親しまれる岩田さんの姿を見た思いがしました。

きっと国会対策委員長だった時もそのようにして自然に周りを丸め込んでしまったのでしょう。岩田さんが、党派を超えて親しまれた国会議員であったのもむべなるかなです。
笑顔の岩田順介さんのお顔を思い出しながら、ご冥福をお祈りし会場を後にしました。

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