今日は、小倉に永く住み大正期から昭和にかけて活躍した天才女性俳人・杉田久女の亡くなった日。60年前のことです。
ゆかりの円通寺で恒例の久女忌が行われ、私も参加しました。林久照住職の読経の中、白菊を手向け焼香、久女の句「朝顔や濁り初めたる市の空」ほか3句が献句されました。
久女忌は大寒の前後、いちばん寒い季節ですが、主催した「久女・多佳子の会」柿本会長は「この寒さも凛とした久女にふさわしいのではないでしょうか」と挨拶されていました。
法要の後の講演会では、北九州市文学館開設準備専門研究員である今川英子先生が「久女とその時代」と題して講演されました。
今川先生は「今日は男の方も多くご参加で恐縮ですが」と前置きされた上で「久女は、率直に申し上げてその時代と男たちによって、また高浜虚子というモンスターによって潰されたと思います。」と述べられました。そして久女が育った明治期から大正期の女性の社会動向、強い男性社会の中での文学や芸術界の革新運動と俳句界の出来事、とりわけ高浜虚子という巨人が何を考え、久女らが翻弄されていったか。久女の内面意識と当時の小倉という地域の意識状況とのギャップなどについて語られました。
有り余る才能を発揮しながらも、実業家政治家としての俳句界の巨人・高浜虚子に翻弄され、実生活でも厳しい男社会の現実の下で苦しみ、更年期障害で終戦直後の病院で亡くなっていく杉田久女の姿を的確に捉えて述べられた今川先生の講演を、私は大変興味深くお聞きしました。
「北九州の方はもっと久女に自信をもって良いのではないでしょうか」と締めくくられた今川先生ご自身「もっともっとお話したいことがあって…」とおっしゃいましたが、私も、また改めて是非お話をお聞きしたいものと思いました。
同時に、この秋に開館予定の北九州市立文学館について、結局はまた岩下俊作の「富島松五郎伝」からしか始まらないような雰囲気を心配していた私としては、「国の宝」(田辺聖子さん)である杉田久女が文学館でも正しい評価をうけるための強力な応援団が加わってくれた気がして大変心強く感じました。
二人目の講師は、俳人で近年、久女研究に精力的に取り組んでおられる鈴木厚子先生。「杉田久女と吉屋信子」と題して、久女を除名した虚子寄りの姿勢から事実をねじまげて久女の伝記を作品とした吉屋信子を厳しく断罪されました。こちらも良いお話でした。