先日、寒嶽川の浚渫工事中に発見された小さい石碑(写真)は、一体何なのでしょうか?発見されたのは紫川との合流地点付近、宝来橋の下のかなり深い土の中だったそうです。
工事に携わっていたYさんらは「捨てる訳にもいかなだろうし」と考えあぐねて、人を通じて私に相談してくれたのでした。
現在、市の文化振興課を通じて調査を進めていますので、近く何らかの調査結果がもたらされると思います。
石碑は縦が約30センチくらい。
前面には仏さまのような彫りがなされ、その下には「智閑童子(下の字は堂か霊とも)」と読める文字が刻まれています。
智閑禅師は唐代の高僧で禅宗にはなじみ深い方だとお聞きしていますが、この周辺には、旦過市場の「旦過」の由来となった禅寺の宗玄寺などがありましたので、境内や周辺で祀られていたものかもしれないと思います。
私の勝手な推測では、この付近で、祠などに安置して祀っていた石碑が、河川の氾濫などで流失し、今日まで川床に眠っていたなどということではないか。側面には「宝暦」と読める年号が刻まれていました。もし「宝暦」であれば、江戸時代の約250年ほど前の古いものと言うことになります。
ただし、見れば、結構新しい感じもするので、果たしてそんなに古いものなのでしょうか。
いずれにしても、私たちは興味津津で、市の調査結果を待っているところです。
同工事では川床から、橋の欄干も見つかっていて、それには「宝来橋」とあったそうです。
宝来橋は、マイタウンマイリバー事業で掛け替えられ、現在はコンクリートの「月の橋(宝来橋)」となっていますが、その掛け替えの際に古い欄干を撤去し河川内に放置したとは考えられず、その経緯は分かりません。こちらの方も、歴史的な意義があるのか調査をしてもらうことにしています。
さて、行政的な手続きから言えば、河川の浚渫工事で発見された事物については、まず市の河川課が所管することになるので、そこで保管して調査をかけ、歴史的重要性などを検討することになる、その上で、保存等が不要だとなれば「遺失物」として警察に届けるなども検討するとのことでした。
遺失物として届けられた警察も対応に苦慮するのではないかと思いますが、まずは調査結果を待つことにしましょう。
それにしても、自治体議員というものは、日々様々な事態に対応するよう求められるのでありまして、結構、大変なんだなということにご共感いただければ誠に幸いであります。(これは蛇足)
写真は、その石碑。世良俊明のフェイスブックも併せてご参照ください。http://www.facebook.com/toshiaki.sera.7