北九州市戸畑区生まれの詩人・美術評論家・仏文学者、宗左近さんの業績を紹介する企画展「詩人・宗左近―宙(そら)のかけらたち」が、小倉北区城内の北九州市立文学館で開かれます。
宗左近さんは本名・古賀照一、小倉中学卒業後一高入学。東大哲学科卒。詩誌「歴程」に参加。長編詩集『炎[も]える母』で第6回歴程賞受賞し詩人としての評価を確実にしました。その後、「縄文」シリーズなどの詩集、縄文美術に関する評論を多く手がけたほか、エミール・ゾラの「ナナ」など生涯で30近い仏・英文学書を翻訳・刊行しました。2002年に北九州市民文化賞、2004年にはチカダ賞(スウェーデン)を受賞しています。
この企画展では「本展では、詩人としての宗左近を中心に美術評論家、翻訳者、小説家としての顔にも触れることで、その文業の全貌を紹介し、特に北九州を主題に据えた中句集『響灘』については詳細に取り上げ、宗の故郷・北九州への眼差しを明らかにします。」(市立文学館)としています。詳しくは文学館ホームページへ。)
宗さんは2006年に87歳で永眠されるまで千葉・市川市に住んでいましたが、晩年は故郷・北九州への思いを募らせておられました。
「帆柱山以下阿蘇山に及ぶ固有名詞は、日明、紫川、青島などなどすべて実在の場所のものです。そしてむろん沖の端も、響灘も。書き写しながら、深く感銘しました。これらの名前そのものが宇宙なのです。」と一行詩『響灘』で宗さんは書いています。
私はかつて、本市文学関係者の方々が「もし宗さんが存命だったら北九州市立文学館の館長になってくれたかもしれないのに残念だった」と語るのをお聞きしたことがあります。そうだったかもしれませんね。
幼少期から過酷な運命に翻弄された宗左近さん。
小学六年生のとき、小学五年生の従姉が芸者見習いとして「売られた」。父の死。破産に伴い宮崎の伯母の下へ。飼っていた犬を兄が捨てに行く。その犬が翌日、自分にまっしぐらに走ってくる姿に号泣する自分。父の死には涙を流さなかった。そして東京へ。徴兵忌避。友人たちの死。空襲による母の死。自分は母を助けられなかった。そうさこんちくしょう!母を助けられなかった、自責の念を背負いつつ、生涯をすごしてきた人。
悲しいですねえ。
宗さんが縄文土器の美しさに魅せられたのも、宗左近の内面の悲しさと詩的美しさが、縄文土器の持つ内面的な激しさや滅びゆく悲しみの美しさに共鳴したからであり、そこには愛する失った母への慕情と彼が背負った原罪としての悲しみが横たわっているのだと感じます。
同企画展は10月25日から12月14日まで。市立文学館では、現在は手に入りにくくなった宗左近さんの作品の一部を市立文学館文庫第8集として刊行しています。
また、旧戸畑区役所を保存活用した戸畑図書館内には「宗左近記念室」も設置され、ここでも宗左近さんの業績が紹介されています。写真は「宗左近集」と市立戸畑図書館。