昨日の久女忌では、恒例となった講話会が行われ、久女の夫・杉田宇内先生の小倉中学時代の教え子である俵一彦氏の講演がありました。
氏は「たまには宇内先生のことも話してほしいと依頼された。田辺聖子さんの『花衣ぬぐやまつはる…』はすばらしい作品だが、宇内先生への評価には異議がある。宇内先生は実直ですばらしい先生だった。同窓会ではひっぱりだこでとても人気があった人だ。
久女さんは、俳句のために家を空け夢中になる。神崎縷々のところへも出かけて噂になる。よくも宇内先生が我慢したものだと思う。久女さんに惚れていたのだと思う。
久女を貶める資料を提供したのは横山白虹だと思う。私の独断と偏見だが、彼は久女の才能にジェラシーを感じたし、惚れてもいたのだと思う。高浜虚子もそうだと思っている。」などとお話になりました。
大変興味深いお話しでしたが、白虹さんが「久女に惚れていた」というのは違うのではないかと私は思います。
才能に満ちあふれ、華々しい活躍をはじめた久女の強烈な自意識と時に奇異にみえる行動。こうした女性を実は彼は嫌いだったのではないか。どちらかというとお金持ちの令夫人でおっとりとした多佳子さんのような女性を好ましく思ったのではないか。そして男性中心の当時の小倉の社会では、白虹さんが久女さんを「とんでもない女性だ」と思ったとしても、彼だけの責任でもありません。
しかし宇内先生は、こうした社会からの厳しい批判を受けとめながらも耐え続けた。それは、宇内先生は久女を愛していたのもそうでしょうが、彼こそ、俳句の才能に突き動かされるように突っ走っていく久女の本質を真に理解していたからなのではないか、と私は思うのです。
虚子もまた久女の才能を見抜きつつ、困惑していた。経営者たる彼が、娘の女性俳誌経営に支障となりかねない芽をつみ取るため久女を葬り去る挙に出たのではないかとは、すでに多くの方々が指摘されているところですね。彼はそういう人だったのでしょう。
宇内先生を知る教え子の皆さんは、すでに多くありません。また、色々な証言も立場が違えば何らかのバイアスがかるのは避けられないことかもしれません。しかし、これからも久女さんや宇内先生をめぐる証言が残されていって、久女研究が進んで行ってほしいものだと感じました。俵一彦さん、有り難うございました。(写真は、講話される俵さん)