第二次世界大戦時のドイツでヒトラーの暗殺計画は実に40件以上ありましたが、命を賭して実行されたそれらは、不幸にしていずれも成功することがありませんでした。
そのうち最も有名なのは1944年7月20日のドイツ軍幹部によるヒトラー爆殺未遂事件でしょう。事件の後、ゲシュタポは1500人を逮捕200人を処刑し、徹底的な報復を行い、クーデターはついに終息しますが、ドイツ国民の大多数はというと、この暗殺未遂事件に対して激怒し、この狂気の独裁者を依然として支持し続けたのでした。でも、そのとき一体誰が正しい判断と行動をとることができたというのでしょう。
本書の主人公ミヒャエルは15歳。彼を偶然に介抱してくれた母ほども年の違う女性と知り合い恋に落ちます。深い関係は続き、その女性ハンナは合う度にミヒャエルに本の朗読を求めます。ある日ハンナは突然姿を消し、数年後、法学部の大学生となったミヒャエルは、ナチ時代の強制収容所をめぐる裁判の法廷で被告として罪を問われている彼女と出会うことになります。ハンナはかつてナチスによる強制収容所の看守だったのでした。
逮捕されたハンナは、囚人を死なせることがわかっていて「選別」したのかと尋問されて、裁判長に「あなただったら何をしましたか?」と問いかけます。
ミヒャエルは裁判の過程でハンナが実は文盲であることに気づきます。彼女は、文盲を隠すために出世を捨て、職を変え、看守になったのではないか?収容所での態度も、それを隠すためだったのか?
有罪となったハンナは刑務所に送られますが、ミヒャエルは本を朗読したテープをハンナに送り続けます。18年後、恩赦を受けたハンナはミヒャエルが迎えにいく出所直前に命を絶ちます。
かつて愛した女性が戦犯として裁かれる時、ナチスドイツの犯罪とは一体何だったのか、そして人々はそれをどう裁けば良かったのか、人は一体どのような態度をとることができたのだろうか、戦争犯罪と人々との関わりを図式的とらえずに、その苦悩を率直に描いたことで、本作品は高い評価を得ました。
日本軍部の暴走を許し、日本国民やアジアの人々に塗炭の苦しみを強いた歴史を持つ私たちも、戦時下で狂気のプロパガンダに洗脳されず人としてどのような態度をとることがができたのか、謙虚にふり返ることが求められているのかもしれません。
ついでながら、本作品を読んでいて、訳文学とはいえ「静けさ」や「理性」といった共通する要素があるのでしょうか、シュトルムの『みずうみ』など、かつて親しんだドイツ文学のいくつかを思い出しました。
松永美穂訳 新潮文庫刊