2月5日に投票が行われる北九州市長選挙では「人口減少対策をめぐって」も論戦が展開される見通しだとメディアが報じていました。
かつて106万を超えた本市の人口が減少を続け、現在は約93万人余りにまで落ち込んでいる現実を見るとき「何とかならないものか」と、市民の皆さんが感じることは素朴で自然なことかも知れません。
ただ、これを「この16年間の北橋市長の能力のなさのせいだ」として非難するのは簡単ですが、短絡にすぎます。
多くの方がご存知のように、かつて4大工業地帯と言われた北九州地域の鉄鋼を中心とした産業が、高度化を求められて太平洋ベルト地帯へとシフトしていく過程で、基幹産業の従業員が大量に転出を余儀なくされることで北九州市の人口は構造的な減少を続けてきました。
実は、北九州市で転出超過による人口の社会減が見られるのは1965年のこと。今から58年も前の谷伍平市長時代のことです。以降、市の人口の社会減は今日まで一貫して続いてきました。
北橋市長の前の末吉市長時代も例外ではなく、1987年の1万1796人の社会減をピークに、毎年8千人、7千人と、市政5期20年の間、一貫して大幅な転出超過が続きました。
もし人口の増減が市のトップの能力によると言うのであれば、この時代の方がはるかに無能な時代だったということになってしまいます。
北橋市政を非難したいがための意味のないレッテル貼りは、ぜひ止めにしたいものですね。
ちなみに、人口の社会減がようやく3桁にとどまるようになったのは2009年から。北橋市政になってからのことです。
歴代の北九州市長は、何とか地域産業の衰退に御歯止めをかけ、新しい産業を育成して、雇用を確保しようと苦闘を続けてきましたが、エネルギー革命と日本工業の高度化への対応という歴史的構造変化の波に翻弄され続けてきたのでした。
それでも北九州市や周辺地域には、多くの自動車産業が立地したほか、他の既存の製造業も時代に対応した高度化をすすめながら、生き残りを図ってきました。
そしていま、脱炭素の時代にあって、響灘では大規模洋上風力産業の拠点化が進められていますが、風車の部品は自動車に匹敵する2万点に上るとされ、ベアリングやモーター、減速機など、歴史的に北九州で培ってきたものづくり産業の力が大いに生かせるものと期待されています。
この事業は基本的に民間投資により進められているのもので、今後、設備の組み立てや、オペレーション・メンテナンスなども含めて幅広い雇用が生まれるものと期待されています。
また、北九州空港の滑走路延伸が遂に決定的となり、ヤマト運輸や世界大手の航空物流企業の参入も決まりました。
本市が物流拠点となることで、雇用の増大が見込まれますし、何より、歴史的な暴力の一掃により北九州市が安全安心を誇る地域となってきたことを背景に、大手IT企業など新規企業の進出も進んでいます。各種大型イベント誘致や観光産業の振興にも期待が集まります。
このように16年間の北橋市政の下で、作りだされてきた実績を踏まえて、多くの産業分野で仕事を創出し、さらに雇用の増大につなげたいというのが、津森洋介北九州市長候補の思いです。
生まれ育った北九州市を愛し、国交省や全国の自治体で経験し蓄積したまちづくりの能力を、存分に発揮したいと意欲を見せる「つもり洋介」市長候補。その実行力に期待しようではありませんか。