このままで良いだろうか-長崎原爆忌に

61回目の長崎原爆忌です。今日も勝山公園の一角にある長崎の碑と鐘のまえで平和記念式典が行われました。原爆が投下された時刻の午前11時2分全員で黙祷し、原爆で亡くなった方々のご冥福と核兵器廃絶への願いを込めて祈りました。その後、いつものとおり献花・献水そして鳴鐘を行いました。

鐘の音が響く中、原爆忌はこれで良いのだろうかと二つの点で思いました。
一つは、被爆者の皆さんをはじめ多くの国民が、世界の核廃絶・核不拡散の流れの変化を懸念されている点です。被爆61年、世界ではむしろ核兵器廃絶に逆向する力が強まってきているのではないか。被爆国日本と日本国民の取り組みを今後どうしていけばいいのだろうか。広島でも長崎でも、いらだちと懸念の声が強まっています。
国際政治の緊張を背景に国家主義と軍事力の強化を主張するだけでは、核廃絶の願いに応えることはできないでしょう。右翼が街宣していく光景に鼻白みながら、日本政治の質を思いました。

もう一つの思いは、この記念式典です。被爆者や遺族関係者の高齢化はますます進み、遺族の平均年齢は74歳を超えているそうです。現在の慰霊碑や鐘の前には車いすでは進むことが出来ず、献花や鳴鐘はできません。公園の一角で行う記念式典のあり方も検討が必要ではないでしょうか。
高齢者が行事に参加できるバリアフリー化について、また慰霊碑の位置や式典のあり方まなど、関係者の意見をふまえて改めて検討する時期に来ているように思います。
 機会をみて今後議論していきたいものです。 

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