昨日、民主党と自民公明両党の間で「子ども手当」を廃止して「児童手当」を復活させる政策合意がなされたと報道されています。
衆議院のねじれ状態や菅首相交代の条件整備のために、民主党はやむなく妥協したのだと思いますが、この間の三党協議についての報道で、子どもや家庭への支援が本来どうあるべきかとの議論が聞こえてこないのは理解できません。
そもそも子ども手当は、自民党がいうように「バラマキ」で「ポルポト」なのでしょうか?(ちなみに後者は、自民党石原幹事長の表現。子どもを社会で育てるということが、過激な毛沢東派の指導部が国民を大量虐殺したカンボジアのポルポト派の主張と同じということらしいが理解不能)
子どもや家庭への支援はしてはならないものなのでしょうか?
日本の子どもや家庭に対する「社会支出」はGDPの0.75%(2007年)で、北欧はもとよりフランスやイギリス、ドイツ、イタリア等と比べても5分の1から2分の1で極めて少ないことが指摘されています。
とりわけ母子家庭などで所得の低い家庭への支援は薄く、逆に「社会保障制度や税制度によって、日本の子どもたちの貧困率は悪化している」(阿部彩『子どもの貧困』)のが実情なのです。
民主党の子ども手当は、こうした現状を改善し、子育て支援を先進国なみに近づけようと公約にかかげたもので、その方向は決して間違っているとは思いません。
子ども手当を廃止することで、日本の子育て支援の方向が逆転することを強く懸念します。自公政権時代、児童手当が長く定額で抑えられてきたことや、母子世帯への児童扶養手当を大幅減額しようとして厳しい批判を浴びて撤回したことを私たちは改めて思い返してみる必要があります。
再び日本の子どもや家庭への支援は、削減される方向に行くのではないか、その方向は、子どもたちの未来に私たち大人が責任をもつ方向なのか、充分に注意していくことが求められます。
「民主党の目玉政策を撤回させた」と喜んで支持率があがると自民党が期待しても、そう簡単な話ではありませんね。いくら自民党が「子育て支援を後退させない」と主張しても、今回、子どもや家庭への支援を後退させたのが、結局のところ自民党によるごり押しのせいであることを国民は充分理解しているからです。今後、さらに子どもたちへの支援が後退していけば、彼らも再び厳しい批判を浴びることになるでしょう。
もちろん民主党にも、悪化する子どもたちの現状を踏まえて、なぜ子ども手当が正しかったのか、それをなぜ撤回せざるを得なかったのか、国民にしっかり説明するという真摯な態度が求められているのは言うまでもありません。