北九州市の小倉は江戸時代から交通の要ともいうべき地で、小倉の常盤橋を起点に5つの街道がでていました。中でも、肥前から長崎に至る長崎街道は重要な幹線道路であったとされます。
その長崎街道に関連して、このほど「砂糖文化を広めた長崎街道~シュガーロード」として文化庁から日本遺産として認定されることになりました。
かつて長崎に到来した砂糖文化がこの街道沿いに伝わり、沿線の地域には独特の食文化が花開いたとされます。
北九州市では、長崎市や佐賀市など関係する3県8市が加入する「シュガーロード連絡協議会」でシュガーロードに関するストーリーについて日本遺産への申請をしてきました。
詳しくは以下「長崎街道シュガーロード」サイトをご参照ください。
日本遺産の認定は、北九州市にとっても、大変うれしいニュースですし、今後も関係自治体とも連携して、その歴史やお菓子の文化についての情報発信が充実していくことを願いたいと思います。
ところで、長崎街道が重要な幹線であったとはいえ、江戸時代の街道は参勤交代や旅人など、主に人(や馬)が歩くための道でした。
宿場や一里塚などの整備がなされていったものの、当時の街道の道幅は狭く、お伊勢参りなど大勢の人がすれ違うためには二列になって左側通行を行うなどのマナーも守られていたのだそうです。(この辺りは谷釜尋徳著『歩く江戸の旅人たち』に詳しく、興味深い話が綴られています。)
当時の物流の主力は、やはり船を使った海運でした。
なので、長崎街道などでも大きな荷物が運搬されていたとは考えにくく、出島に荷揚げされた砂糖は、長崎街道を京、大阪、江戸などへ「運ばれていった」というよりも、人々によって「(砂糖が)伝わっていった」という方が適当なのかもしれません。
また、長崎市のカステラなど一部を除いて、江戸時代から伝わる砂糖文化やお菓子が街道沿いのすべての町に残されている訳ではありません。
しかし、北九州市をはじめ沿線で頑張っているそれぞれのお菓子にしても、80年、100年などと十分に長い歴史と文化を持つ銘菓ばかりです。
コロナ禍も落ち着いた今、ぜひ北九州市にお越しの方々に、北九州の多くの銘菓・お菓子文化にも接していただいて、砂糖のたどった長い歴史を偲ぶひと時としていただけ
れば幸いです。
写真は「長崎街道シュガーロード」のサイトでも紹介されている北九州市入江製菓の「金平糖」。サイトでは「古くは、かの織田信長にも献上されたといわれ、江戸時代から名だたる書物にその名が記されてきた「金平糖」。 現在も西日本で唯一、金平糖を製造している入江製菓㈱によって、手作りの味が守られ続けています。」と紹介されています。
小倉城の「しろテラス」などでも販売されています。どうぞご賞味あれ。
さて北九州市での新型コロナウイルスの新規感染者は、3日連続のゼロとなった後、6月29日には八幡西区の80代の男性お一人が陽性と確認されました。
これにより、一つの目安である直近1週間の10万人当たりの累積新規感染者数は、0.53と、0.5を再び少し上回りました。
すでに陽性が確認された介護施設関係の濃厚接触者のPCR検査も続いているようですので、今後も陽性の方の確認が続くかもしれません。
とはいえ、入院患者さんも減少し続け、現在は10人となっていますので、当面、本市で医療崩壊が起きる心配はありません。
北橋市長も、記者会見で「第二波を抑え込んだ」と述べ、今後の社会経済レベルを引き上げていきたいとしました。
引き続き感染予防への緊張感を持ちながらも、より良い日常生活の過ごし方をめざして頑張っていきましょう。