大津波による石巻市の惨状 

昨日、仙台に着き、夜は、3・11後全国のネットワークを活かしていち早く支援活動を開始した北九州市のNPOホームレス自立支援機構のメンバーと懇談し、現状と課題について語り合いました。

また会派の他のメンバーは、同じく仙台市を中心に支援活動を続けている北九州市のNGOロシナンテスの皆さんの拠点をおたずねして懇談しました。

明けて今日は、それぞれの団体の活動状況を実際に現地で学ぶこととしご案内いただきました。

私たちのグループは、仙台市の北に位置する宮城第二の都市・石巻市を訪れました。

石巻市も大きな被害を出した地域ですが、特に印象的だったのは、港に隣接する区域(例えば緑町、松並、南浜、門脇地区など)で、行けども行けども破壊された住宅街が延々と続いている惨状でした。

これほど広い範囲の住宅が一挙に破壊される姿は、長さ400キロにわたってプレートが動いた超巨大地震によるものに他ならず、今回の地震がいかにものすごいものであったか体が震える怖さを感じました。

被災し破壊された住宅が取り残されて、かろうじて住むことができる住宅もなお居住許可が出ていないため、全く人影はありません。「ゴーストタウン」という表現は、決して誇張ではなかったのです。

釜石市も石巻市も仙台市も、なお復興計画は確立していませんでした。浸水地域の居住をどう判断するのか、県が整備する護岸や堤防の計画が確定しないことなど、多くの未確定要素があり、まだまだ曲折がありそうです。

石巻市では牡鹿半島の蛤浜という地域で、NPOの支援でカキ養殖を復活させる産業復興支援の現場を見せていただきました。防災無線によるマイク放送が当初は役に立った震災当日の状況や、カキ養殖に復興の希望を見いだしていることや、NPOの支援に感謝していることなど、80歳になる地元地区長のお父さんから語っていただきました。

 

さて、北九州市は、釜石市を中心に、がれき処理や復興計画策定支援など必要な支援を継続する事にしています。派遣された職員さんたちは、ほとんど休まず、朝から夜遅くまで仕事をしているのが実情のようでした。皆さんの健康維持と、仕事上の課題に答えるために北九州市もさらなる気配りが必要だと感じました。

今回の訪問では、被災地の実情を確認し、息の長い支援を継続するとともに、釜石市などで学んだ防災教育など、今後の北九州市の地域防災計画に反映すべき課題を大変多く見つけることができました。

ご手配いただいた各地の関係者の皆さん、また準備いただいた仲間の皆さんにも感謝しながら、今回の被災地訪問を終えることとしました。


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(写真は、石巻市の状況。)

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