戦没者の慰霊つづける北九州市門司区・平和パゴダ 75年目の終戦の日

2020年の8月15日は、75年目の終戦の日となりました。
日中戦争から敗戦までの日本人の戦没者数は、少なくとも310万人。10万人とされるアメリカ軍戦死者や、1900万人にのぼるとされる中国・朝鮮をはじめとするアジア民衆の人的被害など、アジア太平洋戦争は、改めて計り知れない惨禍をもたらした戦争であったことを思わないわけにはいきません。(戦没者数は『アジア・太平洋戦争』吉田裕、岩波新書によっています。)

戦時中、戦線への人と物資の供給拠点となった北九州市(旧門司市)の門司港からは、多くの兵士が出征していきましたが、その門司港を望む、小高いめかり山上には国内唯一の本格的なミャンマー式寺院・世界平和パゴダが鎮座し、今も現役のミャンマー僧が駐在して、世界の平和と戦没者の慰霊を続けています。

世界平和パゴダ

この世界平和パゴダは、旧ビルマ戦線で亡くなった人々を慰霊しようと、1958年にビルマ帰還兵や遺族、旧門司市などによって建立されました。
建立からの長い時を経て、次第に建物の老朽化も進んでいます。
かつて私も、建立関係者の役員をされていた門司区のMさんから、再三、市の支援の可能性を問われましたが、宗教法人であるものへの自治体からの公的支援は難しいとされ、ご期待に沿えず苦い思いをしてきたものでした。

こうした中、この7月に文化庁文化審議会から同パゴダを登録有形文化財として指定するよう文科大臣への答申がなされました。
登録有形文化財に指定されたとしても、国などからの直接の支援は難しいとされていますが、保存修理費の一部や公開活用事業に関連する事業への補助は可能であるとのことです。
これを機会に、まずは地元の機運が盛り上がることに期待していきたいと思います。

戦争中に門司港から出征した兵士の数は、200万人以上とされていますが、門司港岸壁の近くには、出征兵士を偲び、不戦を誓う「門司港出征の碑」も建てられ、隣には「出征軍馬の水飲み場」が今も残されています。

出征の碑

また門司港では、今年3月、JR門司港駅の大規模修復が完了し、大正時代からの佇まいを今に伝えて、多くの観光客も訪れていますが、その構内には、中国大陸などから日本に帰ってきた人々が、安堵して飲んだ「帰り水」という水道の姿がそのまま残されています。

私も、終戦直前に旧満州から命からがら門司港にたどり着いたという義母が、この駅の帰り水を眺めて「ここだ、ここだよ!」と言って涙していた姿を思い起こします。

出征軍馬の水飲み場

北九州市内には、門司港に限らず、アジア太平洋戦争の惨禍を偲ばせる戦跡が各地に存在します。
若い方々が、それらに接することで、不戦・平和の現代的意義を噛みしめる良き機会となってほしいものと願っています。

JR門司港駅構内の帰り水

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